熊野三山とは紀伊半島の和歌山県南部にある三つの聖地、田辺市本宮町の山の奥地にある熊野本宮大社、新宮市の熊野川河口付近の熊野速玉大社、那智勝浦町の那智の滝で有名な熊野那智大社からなり、全国に3000社以上ある熊野神社の総本社です。

熊野三山を巡る順番について

熊野三山の参拝順は決まっていませんが、平安時代の熊野御幸では、京都から淀川を下り、大阪を経て田辺市へ進み、中辺路を通ってまず熊野本宮大社を参拝し、その後熊野川を下って熊野速玉大社最後に熊野那智大社を訪れる順番が一般的でした。江戸時代には道が整備され、関東からの参拝客や伊勢参りが増えたことで、逆ルートで参拝する人も多くなり、「伊勢に七度、熊野へ三度」とも歌われるようになりました。

平安時代、上皇や法皇は中辺路を通って、まず熊野本宮大社→熊野速玉大社→熊野那智大社を参拝しました。この順序が「正しい参拝順」とされています。

熊野本宮大社

和歌山県田辺市本宮町に位置する全国約3000社の熊野神社の総本社です。もともとは熊野川の中州にありましたが、明治22年の大洪水で現在の場所に移されました。旧社地「大斎原」には鳥居が残り、神聖な場所とされています。主祭神は家津御子大神で、熊野速玉大神や熊野那智大神も祀られています。平安時代には上皇や法皇が参拝する「熊野御幸」の重要地で、再生と蘇りの神として信仰され、現在も多くの参拝者が訪れます。

【住所】和歌山県田辺市本宮町本宮1110
【駐車場】無料駐車場あり
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産田社

熊野本宮大社の末社です。本宮から大斎原(旧社地)までの途中に鎮座しています。八百万の神々をはじめ、総てを産みだされた産土の神と崇められている「伊邪那美尊」が祀られ、新たなものを生み出すパワーを感じる神社です。

日本一の大鳥居をくぐり、大斎原(おおゆのはら)へ

大鳥居は、高さ約34m、幅約42mという圧倒的なスケールを誇ります。
朱塗りの鳥居が青い空に映え、その雄大な姿は訪れる人を圧倒します。
この大鳥居は、明治時代に大洪水により社殿が流された後、旧社地である大斎原の入り口に建てられました。

大斎原は、かつて熊野本宮大社の社殿が鎮座していた場所です。
神々が舞い降りた聖地として、古くから人々に崇敬されてきました。
現在は、石祠が建てられ、熊野本宮大社の神々が祀られています。
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熊野速玉大社

 今から約二千年ほど前の景行天皇五十八年の御世に、熊野権現が最初に降臨したとされる神倉山から現在の地に遷座され、熊野三山の総本宮として全国から崇敬を集めています。主祭神は熊野速玉大神と熊野夫須美大神の夫婦神で、古くから人々の信仰を集めてきました。
神倉神社のゴトビキ岩に降臨した熊野権現を勧進するため、景行天皇の時代に社殿を造営したと伝えられています。
境内には樹齢1000年のナギの巨木など、見どころもたくさんあります。また、熊野牛王宝印と呼ばれる厄除けの護符も有名です。

【住所】和歌山県新宮市新宮1
【駐車場】無料駐車場あり
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神倉神社(熊野速玉大社の摂社)

神々が降臨した熊野信仰の発祥地。御祭神は、高倉下命(たかくらじのみこと)、天照大神。
「日本書紀」の神武東征の話に、即位前三年(紀元前3年)戊午の年(ぼごのとし)、六月、神武天皇が天磐盾(あめのいわたて)に登ったという記述があります。
権現山の中腹に鎮座し、熊野三山に祀られる熊野権現が初めて地上に降臨した伝承をもつ古社です。
天ノ磐盾(あまのいわたて)という険しい崖の上にあり、熊野古道の一部である五百数十段の急峻な石段を登ったところにご神体のゴトビキ岩(ゴトビキとは地元の方言でヒキガエルのことを意味)があります。 ゴトビキ岩を支える大きな岩盤は、袈裟岩と呼ばれます。
また毎年2月6日に行われる奇祭「御燈祭り」の舞台です。

【住所】和歌山県新宮市神倉1丁目13-8
【駐車場】無料駐車場あり
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熊野那智大社

熊野三山の一つとして、熊野本宮大社、熊野速玉大社と共に古くから人々の信仰を集めてきた神社です。和歌山県那智勝浦町に位置し、那智の滝を神格化した飛瀧権現をはじめ、熊野夫須美大神などをご祭神としています。
那智の滝は日本三大名瀑の一つに数えられ、その雄大な姿は自然の力強さを象徴しています。熊野那智大社は、この滝を神聖視し、古くから人々の崇敬を集めてきました。
社殿は、那智山の中腹に位置し、熊野本宮大社や熊野速玉大社とは異なる独特の配置となっています。
社殿からは、雄大な太平洋を一望でき、自然と一体となった神聖な空気が漂っています。

【住所】和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
【駐車場】神社駐車場30台(神社防災道路通行料800円が必要です)
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那智山青岸渡寺

熊野那智大社と隣接して建っています。
那智の滝、那智の原生林を望む西国三十三所第一番札所(西日本巡礼の最初の札所)。熊野信仰の霊場として長い歴史があり、那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場でしたが、1868年に青岸渡寺と那智大社に分離しました。本堂の後方には朱色の三重の塔があり、背後の那智の滝との絶景スポットとなっています。

【住所】和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
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那智大滝(飛瀧神社) 

熊野那智大社の別宮である飛瀧神社のご神体「那智の滝」。
古来より人々の畏敬を集めてきた滝であり、日本一を誇る落差は133m、銚子口の幅は13m、滝壺の深さは10mの名瀑です。
大みそかにはライトアップも行われる日本三大名滝の一つです。
滝を一番近く真正面で拝観できる観覧舞台があり、延命長寿の水と伝えられている滝つぼの水を飲むこともできます。

【住所】和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山
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熊野三山と八咫烏

熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)は、古来より人々に崇敬されてきた霊山で、それぞれに深い歴史と信仰が根付いています。
この熊野三山と深く関わっているのが、**八咫烏(やたがらす)**という神話の生き物です。

八咫烏は、日本の神話に登場する三本の足を持つカラスで、太陽の化身ともされています。
特に、神武天皇が東征の際、熊野から大和まで道案内をしたという伝説があり、熊野三山と深い結びつきを持つ神として信仰されてきました。

八咫烏が熊野三山で象徴するもの

  • 導きの神: 神武天皇を導いたことから、八咫烏は道案内をする神、つまり「導きの神」として崇められています。
  • 太陽の象徴: 太陽の化身であることから、光明や生命力を象徴する存在とされています。
  • 熊野三山のシンボル: 熊野三山全体を象徴する神鳥として、各社で様々な形で祀られています。

八咫烏が見られる場所

熊野三山では、いたるところで八咫烏の姿を見ることができます。

  • 彫刻: 社殿や神門の彫刻、絵画など、様々な形で八咫烏が描かれています。
  • お守り: 八咫烏の形をしたお守りや、八咫烏が描かれたお守りも人気があります。
  • 神紋: 一部の神社では、八咫烏が神紋として用いられています。

八咫烏が日本サッカー協会のシンボルマークになった理由

八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルマークとしても有名です。
これは、神武天皇を導いたという伝説から、「ボールをゴールに導く」という意味が込められていると考えられています。
サッカー選手が試合前に必勝祈願で熊野三山を訪れることも多く、八咫烏はサッカー界でも特別な存在となっています。

各神社における八咫烏の扱い

  • 熊野本宮大社:
    • 主祭神である家津美御子大神(素盞鳴尊)のお使いとして、八咫烏は重要な役割を担っています。
    • 神武天皇を大和の橿原まで先導したという伝説から、導きの神として篤い信仰を集めています。
    • 社殿や神門の彫刻など、様々な場所で八咫烏の姿を見ることができます。
  • 熊野速玉大社:
    • 熊野本宮大社と同様に、八咫烏は神使として崇敬されています。
    • 特に、お燈祭(おとうさい)と呼ばれる祭事では、八咫烏が重要な役割を果たすとされています。
    • 神倉神社のゴトビキ岩も、熊野速玉大社の摂社であり、八咫烏と深い関係があります。
  • 熊野那智大社:
    • 飛瀧権現を主祭神とする熊野那智大社でも、八咫烏は重要な神として祀られています。
    • 那智の滝の周辺には、八咫烏にまつわる伝説や言い伝えが多く残されています。
    • 熊野牛王神符という、八咫烏の文字で書かれたお守りが有名です。