鬪雞神社は、和歌山県田辺市にあり、2016年10月に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました。
「田辺祭」は毎年7月24日・25日に行われる鬪雞神社の例大祭です。
旧城下の各商人町から8基の「おかさ」と言われる、京都の衹園祭のような笠鉾が町中を練り歩き、街をあげた賑わいを見せます。紀南地方最大の祭礼ともいわれ、紀州三大祭りにも数えられています。
所在地 | 〒646-0029 和歌山県田辺市東陽1−1 |
TEL | 0739‐22‐0155 |
営業時間 | |
アクセス | 紀勢自動車道南紀田辺インターより約8分 |
駐車場 | (鳥居横にコインパークあり) |
ホームページ | http://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=7001 |
鬪雞神社の名は平家物語壇ノ浦合戦の鶏合せの故事に由来するそうです
私のたなべ より引用
源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当・湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせました。すると、ことごとく白(源氏)の鶏が勝利したため、源氏に加勢することを決め、熊野水軍200隻を出陣させました。熊野水軍の加勢が合戦の勝敗に結びついたともいわれます。
https://www.tanabe-kanko.jp/view/kumano-kodo/toukei-jinja/
境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像があり、社務所には源義経が奉納したといわれている笛(銘白竜)、弁慶産湯の釜、湛増が使ったとされている鉄烏帽子や鉄扇等の宝物が展示されています。
こちらの記事でも闘鶏神社をはじめ田辺市の紹介をしています。
駐車場は鳥居横にコインパークがあります。
御朱印
藤巖神社
鬪雞神社境内にある藤巌神社(とうがんじんじゃ)は、現在の田辺の基礎を作った安藤直次公をお祀りする神社です。
安藤公は梅の栽培を奨励し、和歌山県の梅栽培発展のきっかけとなりました。
田辺祭(県無形文化財)
和歌祭・粉河祭と並ぶ「紀州三大祭」の一つ。
古文書でみると、紀州藩主浅野幸長(あさのよしなが)、田辺領主が浅野左衛門佐(さえもんのすけ)の時代の慶長10年(1605)に、「権現宮祭礼町中改車」、同12年「流鏑馬三騎町より出」という記録があります。
また、徳川頼宣(よりのぶ)が藩主になって徳川御三家が成立し、頼宣の附家老であった安藤帯刀直次(あんどうたてわきなおつぐ)の領知となってからの寛永10年(1633)には、一時、能の奉納となったようですが、寛文12年(1672)に袋町(福路町)の鉾の台が車となり、翌年の延宝元年には町中の台が車となったという記録があり、この頃には現在の笠鉾の原形ができあがったようです。
450年余の歴史をもつ、毎年7月24日・25日に行われる闘鶏神社の例祭です。
7町8基の笠鉾(山車)や衣笠が市内を巡行します。24日夜の会津橋での引きそろえは笠鉾の明かりが川面に映り情緒がただよいます。