高野山随一の名室寺院当院は祖師大師の別坊で、お大師様が京都から高野山にお帰りになった後、禅定に入られた寺院です。
奇瑞があって光が満ち溢れたので、遍照光院と名づけられました。
その後、白河上皇の高野御幸の際には御座所となっており、源平合戦で有名な熊野の別当湛増(武蔵坊弁慶の父)が1090年に白河上皇の命を受けて修築しています。代々碩学の僧が住職を勤め、高野山でも由緒正しい寺院です。
数多くの国宝重文指定の宝物があり鑑賞できます。部屋は金襖の入った新しい明るい庭園に面したものです。

所在地〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山575
TEL0736-56-2124
営業時間
アクセス有田ICから約1時間20分
駐車場
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白河上皇の御座所となった寺院

本尊は、弘法大師が彫ったという杮不動尊。
紀伊続風土記には、「名室の随一也、高祖大師放光の勝地なるが故に爾名くと云」と記されているそうです。
開基は、弘法大師で、天長9年(832)創建。
その後、性信法親王が何度も当院で過ごしたといわれ、その甥の寛意が住職を務めたそうです。
高野山大火で焼失した後、白河上皇熊野御幸の時に、熊野別当湛増が行在所として当院を造営し、仏種坊心覚が湛増から当院を譲り受けました。心覚は密教事相の一派常喜院流を開き、この流を往生院流と呼びます。
九世覚斅上人は、慈尊院から奥の院までの町卒塔婆を石塔に変えたことで知られています。
寺宝として、池大雅筆紙本著色山水人物図襖絵(国宝)、直庵筆紙本著色屏風、快慶作の阿弥陀如来などを蔵しています。
甲斐源氏の流れをくむ盛岡藩主南部家との関係が深く、現在も縁が続いています。

目に入る御門は、京都御所の建春門と同じ型式をとったもので、高野山でも特に格式の高い山門。
本堂には重要文化財快慶作の阿弥陀像外、寺宝は国宝、重文など多く狩野藤原採林の襖絵など手近に観賞することが出来ます。
料理はフランス大使もよろこばれた精進料理。
お風呂は槙の木の縁どりの御影石で大浴場・中浴場そして家族風呂もあります。
日帰りの方には、昼食もあります。
回遊式庭園を見ながら、それぞれ趣きのあるお部屋で、精進料理をいただけます。